店主インタビュー

【インスパイア&まぜそば大賞】『scLabo』池田店主「第11回お取り寄せラーメン オブ・ザ・イヤー」SPインタビュー


第11回お取り寄せラーメン・オブ・ザ・イヤーにおいて、インスパイア大賞とまぜそば大賞をW受賞した「scLabo(お店の屋号はなし)」。今回は、同店を手がける池田 将太郎 店主にスペシャルインタビューを実施。後悔や挫折も味わった20代の経験、修業先の2店舗への想いなど、普段は明かされることのない貴重なお話を余すことなく語っていただきました。

2022年01月21日 更新
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第11回お取り寄せラーメンオブ・ザ・イヤーバナー

常識に囚われない新たなスタイル


ー今回の『第11回お取り寄せラーメン オブ・ザ・イヤー』では、インスパイア部門とまぜそば部門でそれぞれ大賞を獲得されました。
まずは率直な感想を教えてください。

まずは素直に嬉しいですね。
ありがとうございます。



自分は、煮干だと東京都板橋『中華ソバ 伊吹』の三村師匠。
二郎インスパイアだと千葉県市原『ちばから』の長谷川大将。
この2つのお店で2人の師匠のもとで修行をさせてもらいました。

今のお店も自分の色というよりは修行先をリスペクトしたお店づくりを心がけているので、修行先で教わった技術を活かして、お客様に評価をいただけたというのが何より嬉しいですね。


ー修行先で教わったことに忠実だからこそ、1年目でこれだけ人気を集めたのだと思います。
それこそ、2021年はご自身のお店をオープンして1年目の年でしたが、池田さんにとってはどんな1年でしたか?

まず自分の場合は新店舗ではなくて移転オープンだったので、お店を再開するにあたって何かバタバタするところはありませんでした。

さらに言えば、通販を始めることを前提に仕事をする体制を整えることにも興味があったので、イメージ通りに進められたかなと思います。
宅麺の出荷によって仕事の負担が大きくなることも特になく、それを想定してお店の体制も整えていたので、激動というよりはイメージ通り進んだんじゃないかなと思います。



1年を通して宅麺で商品を提供して思ったことは、僕がイメージしていたよりも遥かに買っていただけたということですね。
この1年は新型コロナの影響でお店に食べに行きづらくなってしまったという方も多かったと思います。
さらには、出店からまだ1年目だったことやインナーリーフや商品のホームページに「ちばから」「中華ソバ 伊吹」で修行したと書かせてもらっているので、それで興味を持ってもらえたということもあったと思います。

ただ、こんなにもお客様に買っていただけるんだなということをこの1年実感しましたね。


ー惜しまれつつ閉店した中での移転オープン。
店舗の方にもたくさんの方がいらっしゃったことと思います。
その中でも、屋号なしで看板もないスタイルが非常に斬新に映りました。

実はこのスタイルは最初から決めていたんですよ。(笑)
今ではインターネットやSNSが普及して、誰もがたくさんの情報を得られる時代になったと思います。
そんな状況下では、誰かがお店に来ればお店のラーメンや場所がSNSで拡散されるというのも非常に多いケースだと思います。

場所はしっかり公開されてなくても、ちゃんと調べれば行き着くことができるというのが今の時代であり、ある意味面白さでもあると思うんですよね。
だから、お店の名前も場所も公開する必要はないんじゃないかなと思い、屋号なしのスタイルで営業しています。



それでもオープン初日から前のお店の常連さんがたくさんいらっしゃってくれましたし、2日後以降は顔馴染みのないお客様もいらっしゃっていました。
現代の情報の広がるスピードというものを身を以て体感しましたね。(笑)

あとお店の名前や場所をちゃんと公開していないというのは、実は良いプレッシャーになってたりもしますよ。
情報をあまり公開していないからこそお客様も興味を持って探してお店に来てくださいますし、名前も場所もわからないのにここのお店美味しいなと思ってもらいたいですよね。
そういった意識を自然と持てるので、ある意味良い効果があるのかもしれないです。



一流のフレンチシェフを目指した20代


ーそれでは池田さんのご経歴を教えてください。

僕は最初、栄養士の仕事をしていたんですよね。
料理の専門学校に通って、調理師と栄養士の免許を取得しました。

実は高校生のアルバイトから飲食店一筋で、その当時から社会人になってからも料理の道を歩みたいなと考えていました。
そう思うようになったきっかけがあって、食べ物や料理を通して自分の周りに大切な人が増えていったんですね。
今でも人生の節目節目でアドバイスをもらったりと、食べ物を通じて出会う人とは何か深い縁を感じています。
当時も卒業してすぐに料理人になりたかったのですが、実際に料理人として働いている先輩からもアドバイスをもらい、栄養士として就職することになりました。



でも料理人になるという目標はどうしても捨てきれなかったんですよね。
専門学校では色々な料理を一流の料理人から学ばせてもらいましたし、若さもありましたから、料理人になってレストランでスキルを身につけたいという想いが日に日に強くなりました。

栄養士として数年働いたあと、23歳くらいの時でしたね。
フランス料理のレストランに就職しました。
そこから数年経った頃には1つのお店を任せてもらえるまでにはなれましたし、いくつかお店を転々としながら、料理を通してたくさんのことを学ばせてもらいました。

でも人間って面白いもので、色々と経験をさせてもらうと、それをさらに突き詰めたいと思うようになるんですよね。
僕もフレンチをやってるからにはフランスで学びたいと思うようになり、ワーキングホリデーが30歳までということもあったので、ギリギリの29歳で働いていたお店を辞めてフランスへ行くという決断をしました。


ーまさに激動の20代...!
フランスには何か伝手などはあったのでしょうか?

もちろんそのような物はありませんでしたよ。(笑)
しかもネットで調べられる情報にも限界がありましたからね。

だからもう先にフランスへ行く前提で事を進めようと、ビザを取得して、同時にフランス語を勉強し始めました。
フランス語を教えてくれる先生から情報をもらった甲斐もあって、少しずつフランスのことを知っていきましたね。



ただ、問題は肝心のレストランだったんですね。
ミシュランガイドで2つ星と3つ星のレストラン合わせて30軒くらいに手紙を1枚1枚送って、働きたいという意志を伝えました。
中々声がかからなかったのですが、フランスへ旅立つちょうど1週間前に1つのお店から電話をもらって、無事、南フランスの2つ星のレストランで働かせてもらうことになりました。
手紙も履歴書もフランス語で書いたことで熱意が伝わったようで、好印象だったみたいですね。

そこから1年間で合計3店舗のレストランで働いてから日本に帰国しました。


ーフランスから帰国されてから、学んだことを活かしてご自身でフレンチのお店を始めるという選択肢もあったと思います。

まずフランスにいた1年間で、フレンチ料理について日本で勉強したことや頑張って来たことが白紙になるくらい、技術の差を感じました。
日本にいた時もミシュランの星を獲得するレストランで働いていましたが、世界中から認められるようなお店で働いたのはフランスが初めてだったので刺激も挫折もたくさん味わいました。



そんな経験を通して自分の中で出た答えが、「一生フランスで料理を続けて、また0からでも良いからフランスで勉強をし直したい。」というものだったんですね。
フランスでできないならフレンチは辞めようと思っていましたし、日本では続けたくないとそのくらい腹を括っていました。

でもフランスのレストランから声がかかることがなくて、フランス料理を勉強し直すというのが難しい状況になってしまいました。
当時は、自分に料理の技術がもっとあればとも思いましたし、フランス語が堪能であればチャンスはあったと思うんですよね。
フランスで過ごした1年はもちろん充実してましたが、後悔もありましたね。



今のスタイルを作った2つの修行先


ーフレンチには戻らないと腹を括られた中で、ラーメンの道を歩むことになったきっかけなどあったのでしょうか?

まず日本に帰国する前から、自分のお店を経営したいという想いはずっと持っていました。
飲食店を始めようと思っていましたし、僕自身小さい頃から麺類が好きだったんですね。
麺類の中でもラーメンが好きだったのでラーメンの勉強をし始めましたが、当時はお店も詳しくなければ頻繁に食べ歩きにも行ってなかったです。



そんな時に地元の後輩にたまたま連れて行ってもらったのが「ちばから」だったんですね。

初めてお店を訪問した時、もちろんラーメンも好きになりましたが、それよりも厨房の様子などを見て「ちばから」で働きたいと思ったんですね。
もちろん当時ラーメンのことは何もわからなかったですし、麺もスープも自家製というのは聞いていたので、ここで仕事すればラーメン作りを1から学べるなと思いました。

僕がお店を訪問した時はスタッフを募集してなかったんですが、ちょっと経った頃にスタッフを募集し始めたので、迷わず連絡しました。(笑)


ー「ちばから」の厨房のオペレーションは目を見張るものがありますもんね。
私も虜になってるかもしれません...(笑)
ちばからでは何年くらい修行されていたんですか?

ちょうど2年弱ですね。

お店に入った当時から長谷川大将には、4年で独立できるようにしたいということと、自分がまだどのラーメンに興味があるかわからないから、どこか別のお店で働きたいということを伝えていました。
それでも快く受け入れてくれて、「ちばから」では貴重な経験をたくさんさせてもらいました。

長谷川大将はじめ、ちばからの皆さんには今でも本当に感謝しています。


ー初めから別のお店で働くことを伝えることができるというのが本当の意志の強さだと思います。
その後「中華ソバ 伊吹」に弟子入りをされました。

そうですね。
僕が「中華ソバ 伊吹」と出会うこととなった1番のきっかけが、ラーメン店主さんやラーメン好きな方が集まる飲み会に、長谷川大将と参加したことですかね。
その飲み会で何人か店主さんと知り合って、それから僕自身も東京のお店を食べ歩くようになりました。



その時ちょうど、セメント系と呼ばれる濃厚煮干ラーメンのブームが始まりかけてた時で「中華ソバ 伊吹」に訪問する機会がありました。
ラーメンの味に衝撃を受けたのはもちろん、気づいたらスープを完飲していたんですね。
無意識のうちにこれだけ夢中になって食べてしまったってことは、自分自身このラーメンに本当に興味があるんだろうなと思いました。

そしたら帰り際に従業員募集の貼り紙を見つけて、書いてあった電話番号を控えて家に帰ってから即電話しましたね。(笑)
もちろん食べ歩きしていた時は、長谷川大将に「ちばから」を辞めることは伝えていましたよ。

それから少し経ってから「中華ソバ 伊吹」で働かせてもらうことになりました。
「中華ソバ 伊吹」でも色々と貴重な経験をさせてもらいましたし、三村師匠をはじめ、伊吹の皆さんには本当に感謝しています。


ー修行先それぞれに恩を感じているからこそ、今でも二毛作というスタイルでお店を営業してらっしゃるんですね。

そうですね。
二毛作は最初から考えていました。



やっぱり両方のラーメンが大好きでしたし、修行先でお世話になったからこそ、お客様には煮干とちばから系の両方を食べてもらいたいと思っていたんですね。

両方を同時に作るのはできないけど、営業時間など工夫して2種類のラーメンを提供することはできました。
いずれは、煮干の専門店とちばからインスパイアの専門店、それぞれのお店でラーメンを提供したいですね。



経験という土台の上でやり直したい料理人の道


ーそれではここで、少し変わった視点から質問をさせていただきます。
もし池田さんご自身が職業や進路を選択する立場に戻ったとしたら、もう一度料理人やラーメンの道を歩み、ラーメン店主になろうと思いますか?

もちろん、もう一度歩むと思います。

やっぱり人間って失敗や後悔をたくさん重ねるじゃないですか。
そういった経験を知っていて戻れるなら、絶対もう一度やり直すと思うんですよね。



調理師は専門職ですし、専門職に就いてる限りその専門が好きで突き詰めたいという想いがあるわけですよね。
今の状態で戻れるとしたらさらに技術を身につけられると思いますし、やり残したこととか自分の甘えや若さとかもたくさんあって今がありますからね。
料理を通して味わった喜びや挫折、後悔全てを抱えてもう一度戻れるなら、絶対料理人という道を選択しますね。

ー本場フランスで料理を学んで、ここに懸けたいと本気で駆け抜けた20代があったからこそ、後悔や失敗も取り戻したいという想いが強くなると思います。



「修行先の味をこれからも継承したい。」


ーそれでは最後に池田さんご自身の目標や展望を教えてください。

やっぱり僕は修行先でたくさんのことを学ばせてもらいましたから。
二毛作の営業スタイルは今でも出来てますけど、やっぱり煮干専門店とちばからインスパイア専門店の2店舗を構えたいです。

2022年はもう1店舗出して、今のお店を煮干専門店として、新しいお店をちばからインスパイア専門店としてオープンしようと思っています。
これは、物件さえ見つかればすぐにオープンしようかなというところまで考えてますよ。



でも、2店舗に広げてもどちらかのお店には絶対立ちますし、それをやらなくなることも絶対ないと思っています。
お店を展開し過ぎちゃうとどうしても自分の目からは離れてしまう店舗も出てきてしまうと思うので、多くて3店舗までですかね。

いずれにしても、修行先で教わった技術や味を受け継ぎつつ営業するというスタイルはこれからも変わりませんね。
そこだけはこれからも大切にしていきたいです。

ー池田さん、本日は貴重なお話をありがとうございました!


・プロフィール


池田 将太郎 店主

20代の頃はフレンチで料理の腕を磨き、「ちばから」「中華ソバ 伊吹」の2店舗で修行を積む。
2020年11月には自身のお店を移転OPENし、屋号がないなど独特なスタイルで話題を集めている。

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