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【はんつ遠藤のラーメン教室】第16回:醤油ラーメンが誕生したわけ


明治時代に中国から流入した塩ラーメンが、なぜ日本古来の醤油と結びついて、醤油ラーメンが誕生したのか。実は、そこには江戸時代までの食文化が影響を及ぼしている。

2015年05月14日 更新
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明治時代に中国から流入した塩ラーメンが、なぜ日本古来の醤油と結びついて、醤油ラーメンが誕生したのか。実は、そこには江戸時代までの食文化が影響を及ぼしている

獣臭を抑えるために用いられた醤油0103shouyutanjo


日本人は天武天皇の殺生禁断から1200年もの間、牛や豚などの獣肉を食さないという、いわゆる「肉食の忌避」の時代が長かった。それが明治維新により、急速な近代化の波、西洋文明の導入、体力増強の必然性から、明治天皇自らが「肉食解禁」を宣言。こうしてトンコツで採った塩ラーメンも堂々と販売されるに至ったが、何せ今まで豚肉等に馴染みがないゆえ、現在のスープよりも相当爽やかな風味としても、当時の日本人にとっては獣臭くて受け入れがたかった。そこで明治30年頃から増えた屋台などでは塩ではなく、次第に日本古来の調味料である「醤油」を合わせるようになり、次第に市民権を得るように。

来々軒が醤油ラーメンを一気に全国へ拡散


それが確立したのが、当時、一大歓楽街であった浅草に明治43年に開店した『来々軒』。シナそば、ワンタン、しゅうまいがメインで、いわゆる日本におけるラーメン専門店の元祖と呼ばれる店舗だ。店内は腰掛式の簡素な作りで、中華料理店よりも低価格で提供した。創業者は横浜税関に勤めていた元役人の尾崎貫一氏で、52歳で店を構えたそう。そして日本人好みの麺料理の試作から、トンコツにトリガラも加えた。さらに塩ではなく醤油を用いることで圧倒的な支持を得たのだ。ちなみに『来々軒』は第二次世界大戦のため昭和18年に休業し、昭和29年に八重洲で再開、昭和51年に閉店したが、最後のお弟子さんが今も千葉市の穴川で『進来軒』を営んでいる。


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フードジャーナリスト・はんつ遠藤


日 本のラーメンだけにとどまらず、世界中のグルメに精通する。テレビ番組でのリポーターや、カップラーメン監修、雑誌でのグルメコーナー連載、更にはフー ドテーマパークのプロデュースや監修を行うなど、その活躍は幅広い。世界中のグルメを知り尽くす舌ならではの視点で、数多くの著書を執筆し、バラエティに 富んだ企画やイベントを実施している。